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その2

2014年03月19日
その2

O竹まことさんのラジオ
にて
2日連続(3/18、3/19)で取り上げられたテーマです。

私自身の環境や抱える葛藤がくすぶり続ける中、
被告人を援護するつもりはありませんが、
何とも他人事とは思えない複雑な心境です。
皆さんはどのように感じられますか?

月刊『創』編集長から引用させていただきました。

初公判被告人冒頭意見陳述 ー後半ー 

少し話が変わりますが、この事件について「言論の自由に対する挑戦」という論評を逮捕前に見かけました。自分は「言論の自由」は国家権力からの自由を指す概念だと思っていました。自分は国家権力や、それを背景にした特殊な圧力団体の構成員でもありません。仮に言論の自由に挑戦する主体が私人だったとして、その私人からの自由という意味で「言論の自由」という概念があるとしましょう。それでも自分は「言論の自由」に挑戦したとは思いません。「作品内容がけしからんから本を撤去しろ」という要求であれば、それは確かに「言論の自由」への挑戦かもしれません。しかし自分は脅迫状の中で無差別殺傷を匂わせましたが、「黒子のバスケ」の作品内容については言及しておりません。これは「言論の自由」の問題ではなく、危機管理のあり方の問題なのです。一連の事件を受けて「黒子のバスケ」の単行本の販売を見合わせた書店が「言論弾圧への加担者」との批判を受け、販売を継続した書店が「『言論の自由』の擁護者」と賞賛を浴びていたことが全くもって理解できませんでした。繰り返しますが、これは頭がおかしい人間への対応を巡る危機管理の問題なのです。ちなみに逮捕により実行はされませんでしたが、自分は「『言論の自由』の擁護者」と賞賛を浴びた大手書店チェーンへの放火を計画していました。

しかし自分は「黒子のバスケ」の単行本を店頭から撤去した書店に対する脅迫事件では立件されない可能性が高いと聞きました。これはおかしいと思います。撤去した書店が立件に消極的で被害届の提出を拒んでいるとも聞きました。単行本の撤去は日本の出版の歴史に残る事件だと思います。絶対に公判の俎上に載せるべきだと考えます。検察には是非とも立件に積極的になって頂きたいと思います。

量刑につきましては、自分は厳罰に処させるべきですし、それを切望しています。半分冗談で半分本気で申し上げますが、自分が望む刑罰は死刑です。自分に対する刑罰が最高で懲役4年6ヶ月というのはおかしいと思います。自分は大学構内という公共空間で毒ガスをばらまき、コンビニの商品棚という不特定多数の人間が手を伸ばす場所に毒入りの食べ物を置いたのです。これは公共危険罪です。死傷者は出ていませんし、自分としても出ないようにやりましたが、自分を無期懲役にも死刑にも処せない日本の刑事司法には大きな欠陥があると思います。上智大学の事件は殺人未遂で、毒入りウエハスの事件はグリコ法で立件されるべきでした。ここからは完全に冗談で申し上げますが、自分としては「黒子のバスケ」というコンテンツに対する殺人未遂が、自分に最も相応しい罪ではないかと思います。またマンガ、アニメ、ゲームにおける表現規制推進の根拠に「キャラクターの人権」を挙げる論者もいますから、「黒子のバスケ」の全キャラクターを代表して主人公の黒子テツヤに対する殺人未遂を適用というのもコールドジャップもといクールジャパン政策を推進している日本らしくて面白いかなと思います。確かに自分は黒子テツヤの人権を侵害したと思います。冗談はさておき、明け透けに申し上げますと「こんなキモい奴は死刑でいいじゃないですか!」という気持ちです。

いわゆる「負け組」に属する人間が、成功者に対する妬みを動機に犯罪に走るという類型の事件は、ひょっとしたら今後の日本で頻発するかもしれません。グローバル経済体制の拡大により、一億総中流の意識が崩壊し、国民の間の格差が明確化して久しい昨今です。日本は東西冷戦下の高度成長期のようなケインズ型の経済政策を採用する体制にはもう戻れないでしょう。格差が開こうとも底辺がネトウヨ化しようとも、ネオリベ的な経済・社会政策は次々と施行されるのです。現在の刑事裁判で最も悪質な動機とされるのは利欲目的です。自分と致しましては、この裁判で検察に「成功者の足を引っ張ろうという動機は利欲目的と同等かそれ以上に悪質」という論理を用いて、自分を断罪して頂きたいのです。そして裁判所には判決でそれを全面的に支持して頂きたいのです。「不幸の道連れという動機は利欲目的と同等かそれ以上に悪質」という判例を作って頂いて、それを法曹界で合意形成して頂きたいのです。「国策捜査」という言葉がありますが、せっかくですから、この事件の判決を「国策判決」として利用して頂きたいのです。俗っぽい言い方をすれば、自分のような汚い顔のキモブサメンが成功したイケメンの足を引っ張ってはいけないのです。これからの日本社会のためにも「不幸の道連れ型犯罪は絶対に許さない」という司法の意志を判決で表明して下さい。せめて社会に役に立つような形で自分は罰されたいのです。そうでないと自分は心穏やかに刑務所で服役できませんし、出所後に心安らかに首も吊れません。

正直に申し上げますと、今の日本の刑事司法には自分を罰する方法はないと思います。自分は現在は留置所で寝泊まりしております。他の被留置者と仲良く話をしたりもできました。自分が人とまともに長く会話をしたのは本当に久しぶりです。少なくとも過去10年にはありません。若い被留置者と話していて「こんなにかわいい弟がいれば、自分はやらかしていなかったろうな」とか「こんなに明るくて、カッコ良くて、ノリの良い友人が子供の頃にいたら、自分の人生も違っていたろうな」などと感じました。自分の人間関係は逮捕前より充実しています。食事も砂糖・塩・油脂が控えめなとてもヘルシーなものを三食きちんと頂いております。自分が三食まともに食べる生活をするのは20年ぶりくらいです。

また、刑務所での服役も全く恐くありません。少なくとも娑婆よりは、人生の格差を自分に突きつけて来る存在に出会うことはないでしょう。いじめがあっても刑務官さんたちは、自分の両親や小学校の担任教師よりはきちんと対応して下さるでしょう。刑務所の生活には自由や尊厳がないと言いますが、自分には、それは娑婆でも同じことですから、何も恐くありません。また今回の逮捕を巡る報道により、自分は全ての日本人から見下される存在になり果てましたが、自分の主観では、それは逮捕前も同じで、それが単に顕在化したに過ぎませんから、特に改めて苦痛を感じません。

逮捕の3ヶ月くらい前から自分は36歳にして、生まれて初めて芸能人が好きになりました。自分は同性愛者ですから、もちろん男性です。好きになったのは男性のグループです。逮捕前はそのグループについて書かれたブログに日参していましたし、情報を得るために新たに言語を習得しようかと思ったくらいでした。身柄を確保された瞬間も、スマートホンを使って、そのグループの曲を聞いていました。逮捕された直後は「俺の嫁の一重王子にもう会えないし、曲も聞けないし、活動の情報も追っかけられないのか」とか「あの人たちの惑星の住人になりたかった」などと思って悲しくなりましたが、心の中でお別れを済ましましたので、今はどうでもいいです。またここ10年くらい自分は重度のネット依存症状態でしたが、今は特にネットをやりたいとは思いません。事件についてのネット上の反応にももう興味はありません。つまり自分は娑婆の娯楽に未練がないのです。

そもそもまともに就職したことがなく、逮捕前の仕事も日雇い派遣でした。自分には失くして惜しい社会的地位がありません。

また、家族もいません。父親は既に他界しています。母親は自営業をしていましたが、自分の事件のせいで店を畳まざるを得なくなりました。それについて申し訳ないという気持ちは全くありません。むしろ素晴らしい復讐を果たせたと思い満足しています。自分と母親との関係はこのようなものです。他の親族とも疎遠で全くつき合いはありません。もちろん友人は全くいません。

さらに自分は生まれてから一度も恋人がいたことがありません。その道のプロにお金を払うという手段を含めても性交すらしたことがありません。恋人いない歴=童貞歴=年齢です。自分はネットスラングで言うところの「魔法使い」です。自分のデタラメな声明文を真に受けた前述の臨床心理士がtwitterで「愛する人を失って云々」などとツイートしていましたが、自分は愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件や交通事故の被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人が存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。つまり自分には失って惜しい人間関係もありません。自分は留置所から借りたスウェットを着てこの場に立っていますが、それはつまり自分には公判用のおめかし用の衣類を差し入れてくれる人など誰もいないという意味です。ただ自分は自己憐憫に陥ってはいません。むしろ無用な人間関係がないことを清々しいとすら思っています。自分の帰りを待つ人も誰もいませんので、気楽で気楽で仕方がありません。

そして死にたいのですから、命も惜しくないし、死刑は大歓迎です。自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間を「無敵の人」とネットスラングでは表現します。これからの日本社会はこの「無敵の人」が増えこそすれ減りはしません。日本社会はこの「無敵の人」とどう向き合うべきかを真剣に考えるべきです。また「無敵の人」の犯罪者に対する効果的な処罰方法を刑事司法行政は真剣に考えるべきです。

長々と申し上げましたが、結論は自分は厳罰に処されるべきの一言に尽きます。自分は思わせぶりなことを申し上げましたが、客観的には大したいじめを受けてませんし、両親の自分に対する振る舞いも躾の範囲に収まることで虐待ではありません。

留置所で同室になった自分と同世代の男性が、「人生が終わりかどうかは自分次第でしょ」とよく言ってました。自分がいかに自己愛が強くて、怠け者で、他者への甘えと依存心に満ち、逆境に立ち向かう心の強さが皆無で、被害者意識だけは強く、規範意識が欠如したどうしようもない人間であることは、自分自身が誰よりもよく分かっています。それでも自分は両親や生育環境に責任転嫁して、心の平衡を保つ精神的勝利法をやめる気はありませんし、やめられません。日本の国際社会における経済的地位の下降とともにやたらと「世界から称賛され、かっこいいと憧れられる日本」像が喧伝され始め、「日本は全世界から好かれているのだから、日本が国際的な批判を浴びることなどありえない。それらは全て反日カルトトライアングルたる特定アジア三国の反日プロパガンダか、それらと呼応して動く日本の反日左翼マスゴミによる偏向捏造報道が原因」という論理のみで国際関係の全てを理解しようとする精神的勝利法が国民世論に蔓延しているのと同じ現象です。自分は「海外の反応」まとめブログを見ても、ちっとも気持ち良くなれませんでした。

自分にはもうこれからはありません、自分に更生の可能性は全くありません。自分には「死もまた社会奉仕」ならぬ「死のみが社会奉仕」という言葉がぴったりと当てはまります。

ここまで書き上げて原稿を読み直しました。知性の欠片も感じられない実に酷い文章だと思いました。自分は高校は元首相やノーベル受賞者を輩出している地元一番の進学校に入学したのですが、それが間違っていたとつくづく思いました。自分の能力に見合わない学校に入ってしまったことは本当に良くなかったです。ただし、母校の恥となったことにつきまして、母校に対する申し訳ないという気持ちは全くありません。ここしばらく何かとOBに慶事が続いていたので、それに冷や水を浴びせたと思うと、むしろ心地がいいです。

繰り返し申し上げますが、自分のようなクズは何としても厳罰に処されなければなりません。

そして最後になりますが、自分の今の率直な心境を申し上げます。

「こんなクソみたいな人生やってられるか! とっとと死なせろ!」

日本中の前途ある少年たちがいじけず、妬まず、僻まず、嫉まず、前向きで明るくてかっこいいイケメンに育つことを願って終わりにしたいと思います。

本日は意見陳述の機会を頂きまして、本当にありがとうございました。

「喪服の死神」「怪人801面相」「黒報隊」こと渡邊博史

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